
パワーリフティング競技における「水抜き」は、試合直前の検量(体重測定)をクリアするために、一時的に体内の水分を排出し、体重を意図的に落とす減量方法です。
筋肉量を維持したまま階級リミットをパスし、試合当日はより重い体重でパフォーマンスを発揮することを目的とします。
しかし、水抜きは身体に大きな負担をかけ、パフォーマンスの低下や深刻な健康被害につながる危険性も伴います。
実施する場合は、その原理とリスクを十分に理解し、専門家や経験豊富な指導者のもとで慎重に行うようにしましょう。
水抜きの基本原理
水抜きは、主に以下の2つの身体の仕組みを利用します。
- 利尿作用のコントロール
事前に大量の水分を摂取することで、体は水分を排出しやすい状態(抗利尿ホルモンの分泌が抑制された状態)になります。
その後、水分摂取を急に制限することで、体は水分を排出するモードのままとなり、摂取量以上に水分が排出されて体重が減少します。 - 塩分(ナトリウム)と水分の関係
ナトリウムは体内で水分を保持する働きがあります。
そのため、水分を排出する段階で塩分摂取を厳しく制限することで、より効率的に体内の水分を排出させることができます。
水抜きの具体的なスケジュールと手順
ここでは、試合当日が日曜日と仮定した一般的なスケジュール例を紹介します。
なお、減量幅や個人の体質によって調整が必要です。
パワーリフティングでは当日計量(検量から試合まで約2時間)が一般的です。
パフォーマンスへの影響を最小限に抑えるため、水抜きによる減量幅は体重の3%以内が安全な目安とされています。
大会 7日前〜3日前:ウォーターローディング期
身体を「水分を排出しやすい状態」にする時期です。
水分摂取
1日に体重の8〜10%を目安に、普段より多くの水分(例: 体重80kgなら6.4ℓ〜8ℓ)を摂取します。
尿の色が透明に近くなるのが一つの目安です。
塩分摂取
1日に10g以上を目安に、意識的に塩分を多く摂取します。
大会 2日前(金曜日):塩抜き期
体内から塩分を抜き、水分排出を促します。
水分摂取
ウォーターローディング期と同様に、多くの水分(7〜8Lなど)を摂取し続けます。
塩分摂取
1日2〜4g以下に厳しく制限します。
加工食品を避け、調味料を使わない食事が基本です。
糖質摂取
筋肉のエネルギー源であるグリコーゲンを枯渇させないため、食物繊維の少ない糖質(白米、うどんなど)を体重1kgあたり1〜2g程度摂取します。
大会 前日(土曜日):ウォーターカット(水抜き)期
本格的に水分を排出し、体重を落とします。
水分摂取
水分摂取を大幅に制限します。
例えば、「検量の16時間前までに体重1kgあたり15ml(体重80kgなら1.2L)を飲み終える」といった方法があります。
塩分摂取
引き続き塩分は厳しく制限します。
発汗促進(必要な場合)
体重の落ちが悪い場合、半身浴やサウナで発汗を促します。
しかし、脱水症状のリスクが非常に高まるため、細心の注意が必要です。
大会 当日(日曜日):検量とリカバリー
検量をパスし、試合までに回復します。
検量前
会場への移動などで自然に200〜500g程度体重が落ちることもあります。
最後の微調整を行います。
検量後
ここからの2時間が非常に重要です。
パフォーマンスを最大限発揮するためのリカバリーを行います。
はい、ウォーターローディング期における1日10g以上の塩分摂取について、具体的な食事のイメージと効率的な摂取方法を解説します。
ウォーターローディング期の塩分10g摂取について
日本人の平均的な食塩摂取量は1日あたり約10gと言われています。
つまり、普段通りのしっかりとした味付けの和食を3食とると、概ね10gに近い塩分量になります。
しかし、ウォーターローディングの目的は「意識的に普段より多く」塩分を摂ることなので、具体的な食品の塩分量を知っておくと目標を達成しやすくなります。
食事から摂取できる塩分量のイメージ
約5.0g
- ごはん
- 味噌汁(インスタントも可):約1.5g
- 納豆(タレ含む):約0.7g
- 塩鮭(甘塩・1切れ):約0.8g
- 梅干し1個:約2.0g
食品・調味料の塩分量目安
調味料
- 食塩(小さじ1杯):6.0g
- 濃口しょうゆ(大さじ1杯):2.5g
- 味噌(大さじ1杯):2.0g
- めんつゆ(3倍濃縮)(大さじ1杯):1.5g
食品
- 梅干し(中1個):2.0g
- たらこ(1/2腹):2.5g
- 塩鮭(甘塩)(1切れ):0.8g
- 魚肉ソーセージ(1本):2.5g
- プロセスチーズ(1個):0.7g
- インスタント味噌汁(1杯):1.5~2.0g
- カップラーメン(1個):5.0~7.0g
効率的に10g以上の塩分を摂取する方法
ウォーターローディング期は、大量の水分(6L〜8Lなど)を摂取するため、体内の塩分濃度が薄まりがちです。
それを防ぎ、体に水分をしっかり保持させるために、以下の方法で効率的に塩分を摂取しましょう。
- 汁物を積極的に摂る
- 味噌汁、スープなどは塩分を摂取しやすい代表格です。
- 毎食に汁物を取り入れるだけで、かなりの塩分量を確保できます。
- 昆布茶や顆粒だしをお湯で溶いて飲むのも手軽な方法です。
- ごはんのお供を活用する
- 梅干し、たらこ、塩昆布、漬物、佃煮、なめたけなどを食事にプラス一品加えることで、手軽に塩分を補給できます。
- 調味料を「ちょい足し」する
- 調理済みの料理(炒め物、サラダ、冷奴など)に醤油や塩を少しだけ追加します。
- トレーニング後のプロテインに、ひとつまみの塩を入れるのも効果的です。
- 電解質ドリンクやサプリメントを利用する
- 大量の水分摂取が辛い場合や、食事だけで目標に届かない場合に有効です。
- 経口補水液
水分と塩分を効率よく吸収できるように設計されています。 - 塩分タブレット・塩飴
トレーニング前後や食間に手軽に摂取できます。
製品によって塩分含有量が違うので、表示を確認しましょう。
- 水分と塩分をセットで摂取する
- 重要なのは、こまめな水分補給と同時に塩分も摂取することです。
- 例えば、コップ1杯の水を飲むタイミングで塩昆布を少しつまむ、といったようにセットで摂ることで、体内の電解質バランスを保ちやすくなります。
塩分摂取の注意点
普段、健康のために減塩を心がけている方にとっては、高塩分の食事は胃腸に負担がかかることがあります。
体調を見ながら調整してください。
この高塩分・高水分の食事法は、あくまで水抜きのための期間限定の特殊な方法です。
長期間続けると健康を害する恐れがあるため、必ず期間を守ってください。
ご自身の食生活や体調に合わせて、これらの方法を組み合わせて1日10g以上の塩分摂取を目指してください。
最も重要な「検量後のリカバリー」
パワーリフティングは検量から試技開始までが約2時間と短いため、いかに効率よく回復するかが勝敗を分けます。
- 直後の水分・電解質補給
検量が終わったら、まず経口補水液や電解質(イオン)を多く含むスポーツドリンクを飲みます。
水抜き後の体は塩分(ナトリウム)が枯渇しているため、ただの水を飲むと吸収効率が悪く、体外に排出されやすいためです。
なお、がぶ飲みはせず、500ml〜1L程度をゆっくりと摂取します。 - 糖質の補給
水分を摂取して20〜30分後、胃腸が落ち着いたら、消化吸収の早い糖質を摂取します。
例:バナナ、おにぎり、カステラ、ゼリー飲料、ブドウ糖など - 試合開始までの補給
試技開始までの間に、計画的に水分と糖質を摂り続けます。
リカバリーで摂取する水分量の目安は、「体重1kgあたり30ml + 水抜きで落とした水分量」と言われています。
例:検量体重83kgで3kg落とした場合、(83kg × 0.03L) + 3L = 約5.5L
この量を試合開始までに計画的に飲み切るイメージです。
水抜きの危険性と注意点
水抜きは、計画通りに進まないと検量失格のリスクがあるだけでなく、深刻な健康被害を引き起こす可能性があります。
- パフォーマンスの低下
体重の3%を超える水分が失われると、筋力や集中力が著しく低下し、筋肉の痙攣(けいれん)を引き起こすリスクが高まります。 - 脱水症状
めまい、頭痛、吐き気などの症状が現れ、重篤な場合は意識障害や熱中症に至る危険があります。 - 臓器への負担
特に腎臓に大きな負担がかかり、急性腎障害などを引き起こす可能性があります。
繰り返すことで慢性的なダメージにつながることも指摘されています。 - 電解質バランスの異常
体内のミネラルバランスが崩れ、心臓に負担をかけることもあります。
そのため、以下について注意しましょう。
- 安易に手を出さない
初めての場合は特に、自己流で行うのは非常に危険です。
必ず専門家や経験豊富な指導者の下で行ってください。 - 体調を最優先する
少しでも異常を感じたら、すぐに中止してください。
大会に出場することよりも、ご自身の健康が最も重要です。 - 利尿剤の絶対禁止
利尿剤の使用はドーピング違反であると同時に、体を危険な脱水状態に陥らせるため、絶対にやめてください。
水抜きは、競技成績を向上させる可能性のあるテクニックですが、それは緻密な計画と自己管理、そして何よりも安全が確保されて初めて成り立つものです。
そのリスクを十分に理解した上で、慎重に取り組むようにしましょう。